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荒井勝喜首相秘書官と息子の差別発言とは?経歴や「オフレコ」発言更迭についても

荒井勝喜首相秘書官

荒井勝喜首相秘書官が「オフレコ」前提発言で更迭されてしまいましたが、その「オフレコ」発言とはどんな内容だったのか?

また、荒井勝喜さんの息子が警察沙汰になったトラブルとは何だったのかをまとめてみました。

荒井勝喜首相秘書官の
・「オフレコ」差別発言
・プロフィール・経歴
・岸田首相との関係
・息子の差別発言
をまとめてみました!

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目次

荒井勝喜首相秘書官の「オフレコ」差別発言

荒井勝喜さんは2023年2月3日の夜、オフレコを前提でLGBTや同性婚に関し、「見るのも嫌だ、隣に住んでいたらやっぱり嫌だ」と記者団に語りました。

さらには「同性婚なんか導入したら、国を捨てる人も出てくる。他の首相秘書官も同じことを言っている。」と言うような発言もしていたようです。

オフレコのはずだった取材ですが、軽率で差別的な発言だと問題に。

荒井勝喜さんは謝り、自身の発言の撤回をしましたが、時はすでに遅く岸田首相は更迭を決め、後任には経済産業省秘書課長の伊藤禎則さんが起用されることになりました。

荒井勝喜首相秘書官のプロフィール

荒井勝喜(あらい まさよし)

生年月日:1967年7月17日

出身地:神奈川県

荒井勝喜首相秘書官の経歴

荒井勝喜さんは横浜市立南高校を卒業し、公務員になり横浜市役所に勤務。
優秀だったので上司に大学進学を勧められ、奨学金を得て早稲田大学政治経済学部へ進学しました。

1991年、旧通商産業省(経済産業省)に入省。

東大卒が多い官僚の中では異色の経歴の持ち主。
一時期は長髪を茶髪に染めていたこともあったそうです。

2016年には官房三課長の一つである大臣官房総務課長に就任。

経済産業省時代には東芝やシャープの経営再建問題に携わり、能力を発揮し「異能の官僚」としても知られました。

胆力がある」と評価も高く順調に出世していきます。
同期入省者の出世レースではトップを走り、将来の事務次官就任が有力視されていました。

荒井勝喜首相秘書官と岸田首相の関係

2008年、岸田首相は消費者庁設置に向け担当大臣を務めました。
その時、荒井勝喜さんは岸田首相の部下として仕えていたそうです。

荒井勝喜さんが岸田首相に秘書官として呼ばれたのが2022年の10月。
秘書官の中でも首相と過ごす時間が一番長く、出張にもよく同行したりしていたそうです。

荒井勝喜首相秘書官は岸田首相のスピーチライター

荒井勝喜さん、実は岸田首相のスピーチライターを務めていました。
岸田首相の国会の答弁や演説の原稿も。

昨年9月の安倍元首相の国葬での弔辞も準備したそうです。
菅元首相の弔辞が感動的な内容だったために岸田首相の弔辞は「まるで官僚の作文」と比べられたそうです。

荒井勝喜首相秘書官の息子の差別発言

深夜1時過ぎ、当時、早稲田大学(4年生)に通う学生と20代の会社員との間でタクシーの乗車をめぐりつかみ合いの口論となるトラブルがありました。

交番からは警察官が駆けつけ、会社員が「イヤホンを壊された」と主張したので2人は戸塚署で事情聴取をすることに。

そんな中、興奮していた大学生の口から「俺の親父は総理秘書官だぞ!お前ら、所轄のお巡りは高卒だろ!」と差別するような発言が。
こう発言したのは荒井勝喜さんの息子でした。

その後に荒井勝喜さんは戸塚署に駆けつけ、深々と頭を下げたそうです。

イヤホンを壊された会社員には息子に代わって謝罪し、イヤホンの弁償代として3万円を支払い示談が成立したそうです。

このトラブルの取材に荒井勝喜さんは次のように答えていました。

「その日は卒業式で酔っ払っていて、どっちが先にタクシーに乗るかで揉めたらしいんですね。息子は身体が大きくて人相も悪いもので、お巡りさんが自分のほうにたくさん来ちゃったと。本人から電話がかかってきて『なんか俺が悪者になっているんだ』って」

引用元:文春オンライン

まとめ

2008年、岸田首相は消費者庁設置に向け担当大臣を務めていた際に、荒井勝喜さんは岸田首相の部下として仕えていました。
荒井勝喜さんが岸田首相に秘書官として呼ばれたのが2022年の10月。
秘書官の中でも首相と過ごす時間が一番長く、出張にもよく同行したりしていたそうです。
荒井勝喜さんは岸田首相からの信頼の厚い人だったのではないでしょうか。

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